JOURNAL

竹田でくらす
「竹田で暮らす」をインタビュー(市外編)
麻生隆一朗さん

人との縁で道を拓く 志高き経営者

玖珠郡九重町にある『麻生醤油醸造場』。約70年続く蔵元では創業当時から受け継がれている木樽を使った製法を守り、九州の素材にこだわった醤油や味噌などの調味料や発酵食品を製造しています。2年前、病に倒れた父の跡を継いで三代目に就任したのが麻生隆一朗さん。歴史ある蔵元を30歳の若さで継ぐことの重圧を感じながらも、自身が外で見て来た経験を生かし販路拡大に向けてリスタート。会社のために奮闘を続ける麻生さんですが、社長に就任するまでにはいくつもの転機が訪れました。そこにはいつも刺激をくれる人の存在があったのです。

■高校時代に到来した第一の転機

麻生さんにとって第一のターニングポイントは高校生の頃にやってきました。醸造場の跡継ぎとして育った麻生さんは、子どもの頃から疑いなく自分が跡を継ぐものだと思って過ごしていたそう。ですが進学した高校で、考え方が変わるきっかけを得たのです。

「高校は大分市内に出たんです。玖珠では1学年30人くらいしかいなかったのに、大分では1学年600人くらいいて。するとそこにはいろんな考えやバックボーンを持っている人がいるわけですよね。いろんな人と話をしていくうちに、果たして僕がこのまま家を継ぐのは正解なのかなって思うようになったんです。人生一回きりなのに家を継いでしまったら、もうこの職業しかできないよなって。それならもっといろんなことを経験した方がいいんじゃないかって」。

そこで麻生さんが選んだのは、醸造や発酵が学べる東京の大学への進学でした。その選択が、彼にまた新しい刺激をもたらすことになったのです。

■大学での出会いが宝物に

「僕が通った大学は特殊で。酒蔵の息子や味噌屋の息子とか後継者が全体の1割を占めるような学校だったんです。だから醸造に全く関係のない家の子たちがいるのが不思議で。でもその人たちって、何もないバックヤードから明確な目的を持って入学してきていて。モチベーションや発想力も凄かったんですよね。僕には持ってないものを持っていたんです。彼らと過ごした大学生活は僕にとって資産になったし、彼らにもらった考え方や姿勢は宝物になりました」。

友人たちとの出会いによって、自身のライフデザインを見直すようになった麻生さん。もっとこの分野を極めて勉強した方が良いのか、はたまた他の職業に就いた方が良いのか。自身の中で“継ぐ”ということを噛み砕けていなかったという麻生さんは、自分の考え方の浅はかさを感じるようになったと言います。

「醸造に対して真摯に向き合わないと悪いなって思うようになって。だからやっぱり俺が継がないと誰が継ぐんだという気持ちはありました。ただ自分としてはもっといろんな職種を経験したいという思いがあったので、東京で経験を積むことにしたんです」。

醸造に対する自身の認識の甘さを痛感したという麻生さん。雑貨関係の商社や音楽関係の会社など異なるジャンルの企業で働いていた頃、先代の社長であるお父さんが倒れたという報せが麻生さんの元に届いたのです。

■父の跡を継いで経営者となった27歳

報せが届いた頃は、ちょうど麻生さんが東京での働き方に悩んでいた時でもありました。

「地元の良さを改めて感じるようになってきて。自分が30とか40になるまでに今の会社で働いたとして自分の人生に満足行くのかなって思ったんです。そんな時に父が倒れて。それもタイミングですよね。家業を継ごうと思いました」。

4年前に玖珠に戻ってきた麻生さん。1年ほどお父さんに教わりながら製造方法を学んでいた時に、先代が他界。27歳にして10人の従業員を抱える経営者になったのです。製造に加え取引先や仕入先の確保にも苦労したという麻生さんですが、これを機に今まで取り組めていなかったプロモーションの強化や販路の拡大に力を入れるようになったと言います。

「今まで父がやっていた商いの方法は時代遅れでした。SNSやHPも作っていなかったので、昔からの取引先と根強いファンに支えられている状態だったんです。それにうちの醤油は関東風味の辛口醤油。大分では唯一の木樽を使う製法なのに、知っている人が少ないのがもったいなくて」。

昔から大切にしている製法はそのままに、時代に合わせて変わらなければならないところは積極的に変えていく。商品のラインアップを見直し、自社の強みを考えた上でプロモーションを行うようにしたという麻生さん。ターゲットも東京や大阪まで広げ、都会の人にも手にとってもらえるよう、商品のラベルデザインを変更。さらに麻生醤油の味を楽しんでもらいたいとイベントも開催するようになりました。

「味噌や醤油が料理になった時にどう生まれ変わるのか、味噌醤油が持つポテンシャルを知って、食べて感じてもらうのもありかなと思ったんです。他にこういうイベントをしている蔵元がいないので、先駆的にやる必要があるのかなと思って」。

一社だけで行うのではなく、料理人やお店などとコラボしながら、大分県内外でPRを行う麻生さん。職人だけでなく外部の企業も経験してきたからこその目線で、“作る”だけではなく“PR“や”投資“の重要性も感じていました。継いだばかりの会社のビジョンについてはしっかりと描いている様子の麻生さん。プライベートについてはどのように考えているのか伺いました。

■経営者として家族を持つこと

「5年後どうなっているかとか、僕自身のビジョンは考えきれていないんです。サラリーマンをしていた時と違って、今はすべての根幹に仕事があるんです」。

プライベートのことは後回しになっているという麻生さんですが、東京には3年以上の付き合いになる彼女が。麻生さんが30歳、彼女が28歳と結婚適齢期ではあるものの、やはり結婚に関してもサラリーマンの時とは違う重みがあると言います。

「僕がサラリーマンだったらもしかしたら結婚していたかもしれないですけど、経営者の奥さんとなると、背負うものがあるので。彼女にそこまでのプレッシャーを与えられるのかなとは考えますね。都会から田舎に来るのかという問題も。友達もいない中で、一緒に暮らして仕事をするというのを考えると、簡単に結婚とは言えないですよね」。

経営者が家族を持つということは、会社をそして従業員を守るという重みを奥さんにも背負ってもらわなければいけない。その点において結婚は慎重に考えざるを得ないようです。何より今は麻生さんにとって経営者の勉強期間。もがきながらも、自分の中に様々な価値観を取り入れたいのだとか。

「もっと学んで、いろんな経験を積んで、多くの人と話をすることで自分にない着眼点や発想をもらいたいと思っています。多様な考えを持っている人が周りにいるので、今のうちにその考え方を吸収して広い視野を身に付けたいと思うんです」。

「経営者になって人との繋がりの大切さがわかるようになりました。違う分野であろうが、なんであろうがどこかでつながる縁が助けてくれることがあるんですよ。だから今は小さな縁も大切にしています」。

高校生の頃に影響を受けたように、彼にとって人と出会うということは新たな視点で物事を見せてくれる大切なきっかけ。時に奮い立たせる存在として。時に助けてくれる存在として。いろんな縁に支えられながら、日々成長を続ける麻生さん。彼はものづくり職人の枠を超え、ビジネス的観点を持ち得た進化を続ける経営者でした。

 

 

最近ではコーポレートサイトも新しくされ(http://asoushoyu.com/)、日本古来の伝統ある発酵食品の需要が減りつつある中で、普及活動の一環で【九州の発酵力ツアー】と言った若手のシェフや料理家とのコラボイベントを積極的に展開されてます。(https://www.facebook.com/ryuichro.aso